2007年12月27日
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新宿西口にあった東京生命球場・そして淀橋浄水場跡地と新宿副都心の差分という錯覚トリック

Written By: 川俣 晶連絡先

 「1951年5月に完成した新宿西口にあった東京生命球場」の話題は、オータムマガジンで扱う歴史ネタの中では驚くべき大ヒットで、予想外に多くの人達が興味を持っているようです。

 さて、検証が終わるまで書かないでおこうかとも思いましたが、中間報告的に現在分かっていることを書きます。

淀橋浄水場跡地と新宿副都心の差分という錯覚トリック §

 新宿西口に球場があったとすれば、それは淀橋浄水場よりも手前だろう……ということが、暗黙のうちに想定されていました。なぜかといえば、淀橋浄水場は一般人が通過できる施設ではなく、その向こう側にあるとすればかなりの距離を歩かされると思われたからです。

 しかし、この点に関しては1つの錯誤があることに気付きました。暗黙のうちに、新宿副都心と想定したエリアと淀橋浄水場跡地のエリアの西端の位置が異なっていたのです。

 つまり、新宿中央公園までが一括して整備されたために、そこまでが淀橋浄水場の跡地であるとうっかり錯覚していたが、実際には違うようだ……ということです。新宿中央公園の領域の一部は、少なくとも淀橋浄水場の貯水池の跡地ではありません。

 以下、2つのエリアを地図上で示します。ただし、ラインは正確なものではなく、特に北東部の境界線は本論と関係ないので正しい領域を描いていない可能性が大です。

暗黙のうちに、新宿副都心と想定したエリア §

淀橋浄水場跡地の推定エリア §

それが意味するのは…… §

 こうなってくると、東京生命球場が淀橋浄水場の西側にあったとしても不自然とは言えない……という気持ちになってきました。

 実は、「ビスタルーム 」に「2、新宿十二社にあった、東京生命球場はいつなくなったのでしょうか。」という質問がありますが、新宿十二社とはまさに淀橋浄水場の西側にあたる土地です。

 そして、東京青年会議所2007-50年間の主要事業年表の1964年には「第10回東京商工人野球大会(亀戸球場、東京生命球場)」という記述があり、1964年には野球大会が可能な球場がまだあったらしいことが分かります。

 ということは、1951年~1964年の新宿西口を含む地図があれば、球場が記載されている可能性があります。そして、おそらくそれは存在します。少なくとも、国土地理院から入手できる旧版地図の謄本の5万分1図名: 東京西北部 とうきょうせいほくぶには、この期間に含まれるいくつかの地図が存在することを示しています。

 あとは、どこかで地図を閲覧するか、複製古地図をどこかで買うか、国土地理院から謄本の交付を受けるか……といったあたりの実務的な話になります。しかし、もう年末年始休みに突入していく時期なので、続きは来年になるかも。

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